錦天満宮の後は、少し歩いて裏寺町通に面した宝蔵寺を訪問します。宝蔵寺は伊藤家の菩提寺で若冲のお母さん、弟の白歳などが眠るお寺になります。
イメージ 2イメージ 3
山門と宝蔵寺の説明書き。説明書きの中には伊藤若冲の名前も出てくるくらいにゆかりのあるお寺です。というかお寺と若冲の説明が半々なのが何とも言えないです。大きな扉は通行止めで左側の小さな扉を開けて入ります。三十三間堂で購入した弓矢(http://blogs.yahoo.co.jp/vigies2005/64003916.html参照)が例のごとく、カバンから飛び出しているので、引っかけないよう(石峰寺の小さい唐門をくぐる際に先っちょをこすった(http://blogs.yahoo.co.jp/vigies2005/64007893.html参照)に注意して入ります。
イメージ 1
山門を抜けると宝蔵寺の本堂と右側には八臂辨財天のお社があります。この時期なのに前庭が緑々しているところが凄いです。所々に見える南天の赤い実が非常にきれいです。
イメージ 4イメージ 8伊藤若冲親族のお墓になります。
石碑に分かりやすく「伊藤若冲親族の御墓」と書かれているのが、何とも言えないです。その石碑の下の髑髏は若冲の拓版画「髑髏図」のものです。
その石碑の隣の墓が若冲に父、母、末弟の墓になります。上の写真で見ると左端です。覚月攴冲居士(末弟・宗寂)、心元宗寂居士(父・宗清)、深窓眞寂禅尼(母・清寿)です。その隣にある墓が清臨淨道居士、白歳居士(次弟・宗巌)、可信貞活大姉です。白歳は何度かその絵画を観た事もあるくらい知っていますが、残り2人が分からない・・・。父・母・末弟の墓の配置から見ると清臨淨道居士が白歳の息子で、可信貞活大姉が妻みたいな感じになるのでしょうか。一説によると白歳死後、その妻が若冲と仲良く暮らしていたという話もあり、この可信貞活大姉がその人に当たるのでしょうか。今後、調べてみようと思います。

ちなみに墓の上に屋根が付いていますが、これは昨年取り付けられたものです。そもそもの若冲のお墓、石峰寺、相国寺ともに屋根は付いていなかったような・・・。

宝蔵寺には伊藤若冲の作品として「竹に雄鶏図」、「髑髏図」、若冲派として若演の「双鶏図」、白歳の「羅漢図」、他を所蔵しています。若冲の誕生した日である2月8日(新暦では3月1日)近くにはそれら作品の特別公開を行うという事で今年は2月4・5・7・8日の予定で開催する予定となっています。私は訪問したばかりなので、来年に都合が合えば、訪問しようと考えております。

若冲親族の墓のお参りを済ませ、御朱印を頂き、若冲の絵画の扇子2種類を購入し、法蔵寺を後にしました。
イメージ 5
宝蔵寺で購入した扇子2種類です。
イメージ 6イメージ 7
左が「竹に雄鶏図」の鶏のみ、右が髑髏図になります。

http://widget.blogram.jp/images/bgButton1_gre.gif←ブログランキングサイト「blogram」にてランキングを行っています。
このボタンを押して頂くと幸いです。